新しい価値を創る

時は高度成長期。日本社会は自信に満ち溢れていました。
まもなくアメリカを抜いて、世界1の経済大国になると。
大阪ではアジア初の万国博覧会が開催され、その会場には、既に電気自動車が走り、
携帯電話が登場していました。
激しい成長のエネルギーに満ち溢れていた時代、私のクリエイティブの世界での仕事生活が始まったのです。
以来半世紀、寺山修司風に表現すれば「墓場まであと何マイル?」と数えられる齢に達した今、
誇るべき財産は特になく、一つ、二つのことを悟ったに過ぎません。
中でも常にスタッフに言い続けてきたことがあります。
それは、間違ってもビッグカンパニーにはしない、
どこまでも「エクセレントカンパニー」を目指すということです。
社会が軸を失った今、幸せに生きるための新しい価値が求められていることは確かです。
皆さんがそれを創るためには、私の世代を反面教師として、踏み越えて行くべきなのです。
エクセレントカンパニーは、その先に必ず現れると信じています。
幸せというチェック指標を失わず、新しい価値を創る、
それがエクセレントなクリエイティブであると信じています。

原 正和

 
 
代表者 PROFILE
昭和21(1946)年生まれ。昭和44(1969)年に大手広告代理店に入社。
以来、半世紀にわたって、今なお広告制作の第一線に立ち続ける。
サントリー、日立、花王をはじめ多くのナショナルクライアントの広告展開に、コピーライター、プランナー、マーケッターとして参加、我が国の広告界に「広告理論」「マーケティング理論」を普及させることに尽力した。
多くの日本初の商品を手掛け、競合電通とのコンペでは絶対負けなかったというエピソードをもつ。また、テレビ番組企画にも携わり、「赤いシリーズ」(TBS系)を大ヒットさせた。
この間、毎月200時間以上の残業、10日前後の徹夜という過酷な環境にいながら、日本初の夜間コンピュータ学校へ通って大型コンピュータを作動させたり、大学のオープンカレッジに通ってパニック心理を学ぶなどして高度成長期らしいモーレツな仕事ぶりを発揮したが、本人は「モーレツ」という言葉も主義も嫌う。
その後、ダイレクトマーケティング会社に招かれ、絶対日本には根づかないと言われた通信販売の事業化に携わり、日本通信販売協会(JDMA)設立に参画し、我が国通信販売の幕開けに関わった。
42歳で失業保険を受給しながら独立して有限会社を設立。更に制作プロダクション役員に招聘された後、平成11(1999)年、株式会社Jプロジェクト設立。編集・制作に携わると共に、視聴者参加番組を各局で立ち上げる。
平成20(2008)年以降は、クラブツーリズム株式会社の指定制作会社として旅行に特化した事業展開を行い、今日に至る。
この間、平成17(2005)年には私小説『夏が逝く瞬間』(河出書房新社)で作家デビュー。『明治維新という過ち』(毎日ワンズ)では維新解釈の定説を覆し、明治維新論争の火をつけた。
現在も執筆、講演とプロデューサーの二足の草鞋を履いて奔走している。